■ Certes, c’est un sujet merveilleusement vain, divers et ondoyant, que l’homme.
ほんとに、人間とは驚くほど、空しく、かわりやすく、動いてやまぬ代物だ。
── Michel de Montaigne, Essais, Livre I : Chapitre 1
ミシェル・エイケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne の 『 エセー Essais 』 における人間観を要約してみれば、この一文にきわまるのではなかろうか。『 エセー 』 第 1 巻第 1 章 「 人は、種々の方法によって同じ結果にたどりつく Par Divers Moyens On Arrive à Pareille Fin 」 の初めの方に出てくる。モンテーニュの時代はまず、世界観の重要な変革期で、古代・中世のコスモス ( 宇宙 ) 像がくずれはじめ、目ざめた個人が不安な歩みを開始しだしていた。「 モンテーニュは、最初の近代人であった 」 ( Georges Poulet )。加えて、宗教戦争にゆれさわぐ激動期、戦争、陰謀、ペスト禍、死はふだんに身近にみられた。敬愛する若い友 ラ・ボエシ Étienne de La Boétie (1530-63) の死、相次いでの父の死 (1568) ののち、故郷サン・ミシェル・ド・モンテーニュの城館の一隅の塔に閉じこもった彼は、読書と沈思の日々を送る。古代の書物から学んだ人間の生き方の種々相からも、近くで観察する各階層の人びとの転変のさまからも、彼は、人間存在の不安定、普遍的なモラルの欠如を見抜いて行く。そのなかで、したたかに、流転変化の人の世のうつろいをじっと見つめて、自分ひとりの判断力にかけてこれを 「 試し 」 (「 エセー 」 の意味 )、正直に、率直に自分の意見を述べる、まれな一個の精神が光る。
■ Qui apprendrait les hommes à mourir, leur apprendrait à vivre.
人に死ぬことを教えるのは、生きることを教えることになるだろう。
── Montaigne, Essais, I : 20
『 エセー 』 第 1 巻第 20 章は、「 哲学を学ぶのは、死を学ぶことである Que Philosopher, C'Est Apprendre à Mourir 」 と題される。モンテーニュはある意味で、近しい人びとのあい次ぐ死を見て、人生最後のこの重大事に対していかに処するかを学ぶため、隠遁して、『 エセー 』 を書き始めたのだともみなしうる。人生を生きることは、彼にとって、「 死の練習、死の予めの表象 apprentissage et ressemblance de la mort 」 につきた。モンテーニュは、死を考えぬことを逃避とみなし、むしろ、足をしっかり踏まえ、真正面から死を見すえることを説く。「 死をあらかじめ考えることは、自由を求めることである La préméditation de la mort est préméditation de la liberté. 」 という。たえず死を思い浮かべることで死に慣れ、いつでも出発できるようにしておくことが、死の隷従から離れて、人生を自由に、悠々と生きることにつながる ──
Il faut estre tousjours boté et prest à partir.
いつでも靴をはいて、出かける用意をしていなくてはならない。
Si vous avez faict vostre proufit de la vie, vous en estes repeu, allez vous en satisfaict.
もし生きてよかったと思っているなら、もう楽しみは得たのだ。満足して出て行こう。
Faites place aux autres, comme d’autres vous l’ont faites.
他人に席を譲ろう、他人も譲ってくれたのだから。
このほか、『 エセー 』 のこの章には、死を迎えるべき人間の心構えが、じゅんじゅんと説かれていて、ことに胸にひびく。さいわいな死を、ひいては、さいわいな生を、モンテーニュは僕らに教えてやまぬ ──
La vie n’est de soy ny bien ny mal : c’est la place du bien et du mal selon que vous la leur faictes.
人生にはそれ自体、幸福でも、不幸でもない。あなたの用い方しだいで、幸福の場所にも、不幸の場所にもなる。
── この章が初めて書かれたのは、1572 年のこと。
Mon métier et mon art, c’est vivre.
私の専門、私の巧みは、生きることである。 ( II : 6 )
■ Plutost la teste bien faicte que bien pleine
いっぱい詰まった頭よりもむしろ、よくできた頭を
── Montaigne, Essais, I : 26
モンテーニュの教育論。ギュルソン伯爵夫人ディアーヌ・ド・フォアの求めに応じて、まもなく生まれるはずの夫人の子の教育の手引きとして書き送ったもの。夫人は、モンテーニュとは若い頃からの知己だった。1580 年頃の作か ? 当然、貴族のための教育論であるわけだが、その貴族とは、単に家柄や血統による上流階級に属するというだけでなく、人品ともにかねそなえた、すぐれた教養人 ── 精神の貴族をさすと受けとるべきであろう。それが、当代の<ジャンチョム gentilhomme >であり、次の時代の<オネトム honnête homme >であった。そこで、彼は、書物によって余計な知識をつめこむよりも、物事の正しい判断ができ、真に徳行のほまれ高い人物に育てることこそが、教育の中心だと、はっきり見定めていた。教師を選ぶときにも 「 知識よりは、品性と良識の方を 」 望むという。子どもには、注入されたことをくりかえすだけでなく、自分の作り上げたものだけを外にあらわさなくてはならない ──
Qui suit un autre, il ne suit rien. Il ne trouve rien.
他に従うものは、何にも従っていない。何も見い出さない。 ( I : 25 )
■ Soyez résolus de ne servir plus.
もう他人に屈従しないと決心せよ。
Soyez résolus de ne servir plus, et vous serez libres.
もう他人に屈従しないと決心せよ、さすればあなたがたは自由になれるのだ。
La première raison de la servitude, c’est la coutume.
屈従が起こる第一の理由は、慣習である。
── Étienne de La Boétie, Discours de la servitude volontaire (1549)
自分のよき助言者であったとして、モンテーニュが惜しみのない賛辞をおくっているエティエンヌ・ド・ラ・ボエシは、強固な意志の持ち主であった。彼の名を後世に留めることになった作品が、『 自ら屈従することについて 』 であった。
■ Il ne réspondit pas: « d'Athènes », mais: « Du monde ».
「 アテネの者 」 とではなく、「 世界の者 」 と答えた。
── Montaigne, Essais, I : 26
≪ Il se tire une merveilleuse clarté, pour le jugement humain, de la fréquentation du monde. Nous sommes tous contraints et amoncellez en nous, et avons la veuë racourcie à la longueur de nostre nez. On demandoit à Socrates d’où il estoit. Il ne réspondit pas : « d'Athènes », mais: « Du monde ». ≫
「 人間の判断は、世間とよく交わることから、驚くべき明察力が出てくるのです。私たちはみな、自分のなかに押しこめられています。視界は、せいぜい鼻の長さより向こうへはのびません。ある人がソクラテスに、「 どこの者か 」 と問うたところ、『 アテネの者 』 とではなく、『 世界の者 』 と答えたそうです。 」
モンテーニュの<開かれた心>がよくうかがわれる。足もとばかりを見ないで、広い大きな世界に目配りを及ぼすこと、また、歴史を学んで、過去の多くの業績から、さまざまなことを教えられてくること。そうすれば、人間は小さなことに一喜一憂せずに、おおらかな心で、落ちついた判断ができるようになる。モンテーニュは、こうしてみると早くからまことの 「 国際人 」 であった。III : 6 にも ──
J’estime tous les hommes mes compatriotes, et embrasse un Polonais comme un Français, [ ... ]
私は、世界中のすべての人々を同国人のように思う。ポーランド人をもフランス人と同じように抱きしめる
■ Peusse-je ne me servir que de ceux qui servent aux hales à Paris ?
できるなら、パリの市場で使われる言葉だけを使いたいものだ。
── Montaigne, Essais, I : 26
モンテーニュは、ことさらに人目を引こうとして、特別に風変わりな、目立った服装をすることを 「 小胆さ pusillanimité 」 として排したが、言葉遣いの上でも同じことで、「 ことさらに新奇な言いまわしや聞き慣れぬ単語を使おうとするのは、子どもじみた、学問を鼻にかける、野心からくる 」 として強く批判した。彼にとって、いちばん心にかなう言葉使いとは、「 単純で、作為のないもの 」 であった。パスカルもまた、モンテーニュの忠実な弟子として、自然な、気どりのない、人の心によくしみ入る、言語の用い方に心をくだいた ──
Ce n'est pas dans Montaigne mais dans moi que je trouve tout ce que j'y vois.
わたしは、モンテーニュのなかに見てとるすべてのものを、モンテーニュのなかにではなく、わたし自身のなかに見出す。
── Pascal, Pensées, L.689, B.64.
パスカルの 『 パンセ 』 は、モンテーニュ 『 エセー 』 の部分的な再現であるといわれる。かれはそこまで、モンテーニュに親しみ、『 エセー 』 から多くの例話、表現、思想のヒントを得てきた。何よりその文体が親愛感にあふれ、心のしみ入り、もっとも記憶に残りやすいものであったこと、そしてモンテーニュがその人間的な語りによって、世のだれにも共感できる等身大の、平俗であってしかも有益な考察をつらね、またと得がたい思索の糸口を与えてくれることを、深く悟っていったのであった。モンテーニュのディスクールの汎人間性、それゆえの無名性、共有性をたたえつつ、当然、パスカルもこのスタイルを学びとって、自己の 『 パンセ 』 執筆に応用しようとした。
■ L : ラフュマ ( Louis Lafuma ) 版の番号
■ B : ブランシュヴィック ( Leon Brunschvicg ) 版の番号
■ ≪ Par ce que c’estoit luy ; par ce que c’estoit moy. ≫
「 それは彼であったから ── それは私であったから。 」
── Montaigne, Essais, I : 28
『 エセー 』 第 1 巻第 28 章 「 友情について De l'Amitié 」 のなかに出てくる有名な一句。一読して印象に残る、みごとにも美しい対句。モンテーニュに言わせれば、友情は、単に偶然の出会いによって結ばれた親交ではなく、互いの 「 魂が入りまじり、ひとつに溶け合い、完全に一体となったもので、もはやふたつを結びつけた継ぎ目も消え、みとめられなくなっている 」 ほどのものなのであった。これはまさしく、異性間の愛情にも似て、情熱的なまでに燃え上がった心熱の様相というべきで、もちろん、対象は、ボルドー高等法院時代に知り合った高潔のひとラ・ボエシであり、彼のいない日々は、ただ暗くわびしい夜にすぎず、自分はただ、煙のごとく弱々しく永らえているにすぎない ──
Si on me presse de dire pourquoy je l’aymois, je sens que cela ne se peut exprimer, qu’en réspondant : ≪ Par ce que c’estoit luy ; par ce que c’estoit moy. ≫
[ Si on me presse de dire pourquoi je l’aimais, je sens que cela ne peut s’exprimer qu'en répondant : ≪ Par ce que c’était lui ; par ce que c’était moi. ≫ ]
もし人が、なぜおまえは彼を愛するのかと問いつめてくるならば、ただ 『 それは彼であったから ── それは私であったから 』 と答えるほかに、言いようがないと感じる。
── この友情への讃歌こそは、まさに悲痛にも美しい !
■ Il trouve plus de difference de tel homme à tel homme que de tel animal à tel homme.
人間と人間との違いは、人間と動物との違いよりも大きい。
── Montaigne, Essais, II : 12
『 エセー 』 第 2 巻第 12 章は、全巻のなかでもっとも長い 「 レーモン・スボンの弁護 Apologie de Raimond Sebond 」。モンテーニュは、若い頃 ( 1650 年頃 ) 父から命じられて、15 世紀の神学者レーモン・スボンの著 『 自然神学 Theologia naturalis 』 をラテン語からフランス語に翻訳、1669 年パリで刊行した。この著は、全 6 部 330 章から成り、「 キリスト教のあらゆる信仰個条を、人間的自然的理由によって証明しようとするもの 」 であった。スボンのこうした大胆な試みに対しては、いくつもの非難が向けられてきたが、モンテーニュはこの方法の正しさを主張し、ただ 「 人間的武器のみをもってたたかう 」 ことをスボンに代わって、── あるいは、いくらかスボンをもはみ出して、やりとげようとした。それがこの章の内容。まず、大宇宙のなかの人間のはかなさ、人間は見方によっては動物にも劣る存在であることなどを、さまざまな豊富な実例、イメージにみちた表現を用いて論じつくす ──
Quand je me jouë à ma chatte, qui sçait, si elle passe son temps de moy plus que je ne fay d’elle ?
私が猫と遊んでいるとき、ひょっとすると猫のほうが、私を相手に暇つぶしをしているのではなかろうか ?
このあと、種々の動物が、人間より以上の能力をもち、知恵もあることが示される。また、同じ人間でも、遠い国に住む見知らぬ人たちは、全然違う言葉を話し、服装や風習もまったく異なる。絶対的な基準なんてどこにもないのである、と人間の思い上がりをたたき、すべての価値の相対性をあばいてみせる、モンテーニュの護教論(ごきょうろん)の一節。『 パンセ 』 のパスカル ── 「 神なき人間の悲惨 」 を色濃く描いたパスカルは、とくにこの第 12 章から大きな影響を受けた。
■ Les terres fertiles font les esprits infertiles.
大地がみのり豊かなところでは、精神のみのりは乏しくなる。
── Montaigne, Essais, II : 12
モンテーニュ流のアイロニーがこめられた一句。この章で、彼は、人間の精神の働きがつねに外的な動機によって左右されることをつき、さまざまな例をあげて、その<弱さ>を感じさせようと心を砕いた。むろんそれは、人間の高慢をおとしめ、人間が自分の愚かさに目覚めるように仕向けようとする、スボン = モンテーニュの護教論の筋道に立ってのことだが、この箴言には一般にも通じる真実がこもる。まことに、精神は外的な安逸によって眠りこむ ──
Le mal est à l’homme bien à son tour.
苦痛がときに、人間にさいわいとなる。
Nous voyons combien proprement s’avient la folie avecq les plus vigoureuses operation de nostre ame.
狂気が、人間の精神のもっとも強力な働きといかに密接に結びついているかがわかる。
■ Que sçay-je ? [ Que sais-je ? ]
われ、何をか知る ?
── Montaigne, Essais, II : 12
モンテーニュは、自分の書斎にしていた、屋敷内の塔の 3 階の一室の天上に 57 の銘文を書きつけていた。ギリシア語、ラテン語の句が多く、聖書からの 19 句を別にすれば、ギリシアの懐疑論哲学者セクストゥス・エンピリクス Σέξτος ο Εμπειρικός のものが 9 句でいちばん多く、そのなかに 「 私は判断を停止する έπέχω 」 の一句がある。
また、モンテーニュは、同じギリシアの哲学者ピュロン Πύρρων の説にも共鳴していたらしく、この 「 レーモン・スボンの弁護 」 において紹介している。かれらは一般概念を言葉にできぬジレンマにおちいっている。たとえば、「 私は疑う 」 と言ったとき、少なくとも疑うということ自体は確信していることになり、かれらの説は成立しなくなる。そこで、「 ≪ われ、何をか知る ? ≫ という疑問の形にした方が、もっとその思想がはっきりいいあらわせる 」 と。
パスカルは、モンテーニュもまた 「 ピュロン派である 」 とし ( 『 サシとの対話 Entretien de M. Pascal et de M. de Sacy, sur la lecture d’Épictète et de Montaigne 』 )、この疑問形を銘句にしたのも、人びとがもっとも確かであるとみなしていることをすべて砕き去ることをねらったのだと解釈する ──
「 モンテーニュは、信仰なしに真の義を有すると誇っている人々の傲慢をうち砕き、自分の見方に固執して、学問のなかにこそ不動の真理が見出されると信じている人々を迷いからさまし、理性がじつにわずかな光しか持たず、錯乱状態にあることを十分納得させるのに、比類のないものです 」。
さめた精神の人モンテーニュは、この世の空しさを見すえ、世の哲学者の所説の相互矛盾を見抜いた上で、自分のこのような判断の姿勢を身につけたのであろうか ? それは、流動する現実とともに柔軟に動くことで、思考をひとつの座に固定せしめず、変化する状況に応じて自己の地位を定めてゆくあり方とも通じよう。
■ Je suivray le bon party jusques au feu, mais exclusivement si je puis.
私は、正しい者の側には、火刑台までついて行こう。だが、できるなら、火あぶりはごめんこうむりたい。
── Montaigne, Essais, III : 1
『 エセー 』 第 3 巻第 1 章 「 益のあることと、正しいこと De l’utile et de l’honnête 」 から。モンテーニュらしい、人間味をありのままに見せた、真正直な言い分。なにしろ、宗教戦争に明け暮れた、けわしい、厳しい時代であった。味方でなければ、敵とみなされた。正しい方にくみしながら、あくまで中庸 moderation を守ろうとしたかれ ── 正統派カトリックとしてとどまりつつも新教徒のなかに友人を持ち、両派の和解に力を尽くしたかれ ── は、「 ギベリン党からはゲルフ党、ゲルフ党からはギベリン党 Au gibelin j'étais guelphe ; au guelphe gibelin 」 ( III : 12 ) とみなされた。しかし、かれは、はっきりと言う。「 怒りと憎悪は、正義のなすべき義務をこえる 」 「 正しく公正な意図は、すべてもともと平静で、穏健なものなのだ 」 と。そして必要とあらば、一本のローソクを聖ミカエルさまにも、他の 1 本を、その相手の蛇にもささげると、あえて言い放つ。
■ La vieillesse nous attache plus de rides en esprit qu'au visage.
老いは、私たちの顔よりも心に多くのしわをきざむ。
── Montaigne, Essais, III : 2
「 後悔について Du repentir 」 の章に出てくる。「 私は、老年につきものの後悔を憎む Je hay cet accidental repentir que l'aage apporte 」 と、モンテーニュは言う。若いときの力が弱まって、何ごとでも飽き足りてしまう結果であった。また、老年は、気むずかしさ、自尊心、おしゃべり、金銭欲 ...... など、さまざまな悪徳をもたらす。「 年老いても、すっぱい、かびくさい匂いのしない心 âmes [ ... ] qui en vieillissant ne sentent à l'aigre et au moisi 」 はなんと稀であろう。「 人間は、成長に向っても、衰退に向かっても、完全に進む L'homme marche entier vers son croist et vers son décroist. 」。
■ Le monde n’est qu’une branloire perenne.
この世は、いつまでも揺れるブランコにすぎない。
── Montaigne, Essais, III : 2
■ Tout ce qui blanle ne tombe pas.
揺れ動くものが必ずしも倒れるとはかぎらない。
── Montaigne, Essais, III : 9
『 エセー 』 第 3 巻第 2 章 「 後悔について Du repentir 」、第 3 巻第 9 章 「 空しさについて De la vanité 」 に出てくる。地上の王国も、混乱状態にあるときが最悪とはかぎらない。初期のローマ帝国には、どんな政治の形態もなく、乱れに乱れていた。それでも、ローマは保持された。この国は、「 もっとも病気だったときほどに健康だったことはない [ ... ] ne fut jamais si sain que quand il fut le plus malade. 」。人間もまた、同じである。モンテーニュの自己は、「 生まれながらに酔っぱらっていて、もうろうと、よろめきながら歩いている 」。変幻自在に、したたかに、やわらかく生きる。人生そままに、世界と同じに ──
Je ne peints pas l’estre. Je peints le passage.
わたしは、存在を描かない。移りゆくさまを描く。
■ Nul a esté prophete non seulement en sa maison, mais en son païs.
なんぴとも、自分の家においてだけでなく、自分の国においても預言者ではない。
── Montaigne, Essais, III : 2
モンテーニュの 『 エセー 』 は、正直一途の書物であると自己宣言する。著者は、ありのままに、飾らぬ人間、ミシェル・ド・モンテーニュを衆目にさらす。どんな立派な人、世の中でもてはやされている人でも、妻や召使いから見ると、ただの人間、なにも賞賛にあたいするところのない人間だということが多い。この句は、聖書の有名な一句 ( マタイ 13 : 57 ) [ 57 Et scandalizabantur in eo. Iesus autem dixit eis: “ Non est propheta sine honore nisi in patria et in domo sua ”. こうして人々はイエスにつまずいた。しかし、イエスは言われた、「 預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない 」。 ] のもじりだが、歴史上の実例にとどまらず、「 つまらぬ事柄においても同じ 」 こと ──
Sa [ de l'ame ] grandeur ne s'exerce pas en la grandeur, c'est en la mediocrité.
精神的な偉大さは、偉大さにおいてでなく、平凡さにおいて発揮される。
■ Est il rien certain, resolu, desdeigneux, contemplatif, grave, serieux, comme l’asne ?
ロバほどに、自信家で、頑固で、横柄で、考え深げで、謹厳で、勿体ぶったものがあろうか ?
── Montaigne, Essais, III : 8
『 エセー 』 第 3 巻第 8 章 「 話し合いの術(すべ)について De l’art de conférer 」 に出てくる、痛烈な皮肉のこもった一句。「 ロバ asne, âne 」 はむろん、西欧語では 「 無知な、愚か者 」 のシンボルだが、この意味が出てきた起源は定かではない。ルネサンス期の芸術は、修道士の霊的な弱さ、無能力、頑迷さ ...... などを、ロバの特徴として描いた。モンテーニュは、単なる無知蒙昧のバカ者としてのロバではなくて、ふくれあがり、うぬぼれきって、他人を見くだす 「 無能力な連中 」 のことを、「 ロバ野郎 」 としてうちたたく ──
L’obstination et ardeur d’opinion est la plis seule preuve de bestise. Est il rien certain, resolu, desdeigneux, contemplatif, grave, serieux, comme l’asne ?
自説に固執し、熱狂するのは、暗愚のいちばん確かな証拠である。ロバほどに、自信家で、頑固で、横柄で、考え深げで、謹厳で、勿体ぶったものがあるだろうか ?
■ Je sçay bien ce que je fuis, mais non pas ce que je cerche.
私は、自分が何を避けているかはよく知っているが、何を求めているかは、知らない。
── Montaigne, Essais, III : 9
『 エセー 』 第 3 巻第 8 章 「 空しさについて De la vanité 」。ここではモンテーニュはそれこそ、思いつきのままに、自分の健康について、家事について、人生について、死について、自在に語っているとみえる。しかし、その話の筋道によく聞き入ってみると、悲惨さと空しさのかたまりみたいな自己自身から目をそらして、まわりのさまざまなものに目をこらしてみる<楽しみ>をすすめているようだ。この一句は、自分がなぜ旅行をするのかと訊ねられたときに、いつもする答えとしてあげられているもの。自然は、人間を何ものにも束縛されぬ、自由なものとして、生み出したのに、人間は勝手に自分をある特定の場所にしばりつけている。
モンテーニュは、「 精神にたえず、多くの異なった生活、思想、習慣を見せる 」 ことが、人間の生を形作るのだという。「 人間性がふだんに変化することを味わい知らせること faire gouster une si perpetuelle variété de formes de nostre nature. 」 も。「 生々流転 」、それを文字どおりに生きようとしたモンテーニュは、まことの自由人だった。この一句のあとで、かれがパリをたたえ、パリを愛する言葉をつらねている部分は限りなく美しい。
■ O que c'est un doux et mol chevet, et sain, que l'ignorance et l'incuriosité, à reposer une teste bien faicte !
おお ! 何も知らず、余計な好奇心を持たぬのは、よくできた頭を休めるのに、なんとやわらかく、心地よい、健康な枕であることか !
── Montaigne, Essais, III : 13
『 エセー 』 最終章は、「 経験について De l’experience 」 と題される。ここで、モンテーニュは、自分自身だけを研究対象とするとして、「 私は ... 私は ... 」 と、ひたすらわが身のあり方を検証し、吟味し、「 試み essai 」 にかけて行くが、その初めに、「 私は、無知と無頓着のままに ignoramment et negligemment 、世界の全体の法則のままに、わが身をゆだねる 」 と宣言し、哲学の探求のごときは、ただ、私たちの好奇心を養うだけの役にしか立たぬと言う ──
Comme elle nous a fourni de pieds à marcher, aussi a elle de prudence à nous guider en la vie; prudence, non tant ingenieuse, robuste et pompeuse comme celle de leur invention, mais à l'advenant facile et salutaire, et qui faict tres-bien ce que l'autre dict, en celuy qui a l'heur de sçavoir s'employer naïvement et ordonnéement, c'est à dire naturellement. Le plus simplement se commettre à nature, c'est s'y commettre le plus sagement. O que c'est un doux et mol chevet, et sain, que l'ignorance et l'incuriosité, à reposer une teste bien faicte.
自然は、私たちに歩くための足を与えてくれたように、人生を歩んでいくための知恵 prudence を与えてくれた。知恵といっても、哲学者の考え出したような、巧妙で、頑丈で、大げさなものでなく、分相応の、平明で、健全な知恵である [ ... ] 、なによりも素直に自然に身をゆだねることが、もっとも賢明な身のゆだね方である。おお ! 何も知らず、余計な好奇心を持たぬのは、よくできた頭を休めるのに、なんとやわらかく、心地よい、健康な枕であることか !
■ Si, avons nous beau monter sur des eschasses, car sur des eschasses encores faut-il marcher de nos jambes. Et au plus eslevé throne du monde, si ne sommes nous assis, que sus nostre cul.
竹馬に乗っても、なにもならぬのだ。竹馬に乗っても、歩くのは自分の足だからだ。また、世界中でいちばん高い玉座にのぼったとしても、やはり自分の尻の上にすわっていることにかわりない
── Montaigne, Essais, III : 13
人生の種々相をつぶさに観察し、古今にわたって人間の生態のさまざまなありようを、実人生において、書物において、正直に自己の判断にかけて研究吟味してきた末、モンテーニュがたどりついた結論は、人間はついに人間の分際から脱け出すことはできないということであった。人びとは、自分からぬけ出し、人間から逃げ出そうとする。高く舞い上がろうとして、下に落ちる ──
Au lieu de transformer en anges, ils se transforment en bestes.
天使になりかわろうとして、けだものになる。
── この命題は、パスカルも 『 パンセ 』 のなかで借用していた ( L. 121, B. 418 )。
モンテーニュの書斎の天上には、テレンティウス Terentius のあの有名な一句も刻んであった ──
Homo sum, humani a me nihil alienum puto.
われは人間なり、されば、人間に関することひとつとしてわれに無縁ならざるはなし。
── Publius Terentius Afer, Heautontimorumenos [ ex Graeco Ἑαυτοντιμωρούμενος ] (163 a.C.n.)
モンテーニュは、だから、哲学の諸説のなかでも、もっとも堅実なものを、すなわち、「 もっとも人間的で、私たち自身のもの les plus humaines et nostres 」 を、心にかなうものとして受け入れるという。神が与えられたこの賜物は、 1 本の髪の毛にいたるまで尊重しなければならない ──
C’est une absolue perfection, et comme divine, de sçavoyr jouyr loiallement de son estre.
自分の存在を正しく享受することは、絶対的な完全、ほとんど神に近い完全である。
Les plus belles vies sont, à mon gré, celles qui se rangent au modelle commun et humain, avec ordre, mais sans miracle et sans extravagance.
もっとも美しい人生とは、私の考えでは、ふつうの、人間らしいモデルにかなった、秩序正しく、しかも奇蹟も異常さもない、人生である。
── 美しい言葉だ。
Nous sommes plaisants de nous reposer dans la société de nos semblables: misérables comme nous, impuissants comme nous, ils ne nous aideront pas; on mourra seul.
おかしいものだ。わたしたちは、自分たちと同じ人間の交わりのなかでなら、のんびり呑気にしていられるのだから。かれらも、わたしたちと同じように悲惨な者であり、わたしたちと同じように無力な者なのに。かれらはわたしたちを助けてはくれないであろう ── 死ぬときはひとりだ。
Il faut donc faire comme si on était seul. [ ... ]
だから、人は、自分がひとりであるかのように行動しなければならない。
── Blaise Pascal, Pensées (1670) [ L.151, B.211 ]
これは、恐ろしい言葉だ。たしか、日本の一遍上人の法語にも ──
「 生ぜしも独りなり。死するも独りなり 」 とあった。
[ 「 生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり 」 ]
すべての虚飾をひんむいてみれば、人間はみな、ひとりで、
「 たらいから出て、たらいに帰る 」 ( 一茶 ) のであった。